Another Story

ハルメニアの笑顔

01

 その月になると子供たちの目は皆一様に輝きだす。街中は華やかな彩りを装って、街頭ではさまざまな種類のお菓子が売り出され、街を行き交う人々は皆どこか陽気さを伴っている。笑顔でいたずらをする子供を、苦笑して叱る母親。一緒になって遊びまわる父親。そんな穏やかで可笑しみのあふれた街を、馬車の中でひっそりと沈み込む深海の目が見つめていた。
 シャルロットはぼんやりと幸せそうな外の世界を見ていた。白い小さな手は、隣で眠る琥珀の髪の少年の温かい手に包まれている。それでも、少女の目は、凍るように冷たかった。
 もう、彼にはああいう風に笑いあう家族がいないのだ。
 そのことだけが頭を占める。すべての事実を知ってどうにか彼を取り戻した今も、それはぐるり、ぐるりと彼女の頭を回っている。きゅ、と口元を引き結び、少年の手を握り返した。
 あなたの家族の代わりにはなれないけれど、せめてあなたが笑っていてくれるように。
 馬車が留まり、少年が跳ね起きる。あわててシャルロットを見た彼は、ほっとしたように笑った。いなくなることを怯えている目だった。
 しばしのためらいののち、彼の頬をわずかに撫でる。目を見開く彼を見てみぬふりをして、馬車を降りた。

    ――――◆――――◆――――◆――――◆――――

 広い屋敷の中、小さな人影が二つ、階段の隅でこそこそと会話をしているのが窺える。琥珀の髪の少年と、彼より少し年上の――といっても二つかそこいらだろうが――赤い髪の少女だ。小さな容姿に見合わぬ従者と侍女の格好をしているが、こんな彼らでも立派な使用人である。
 二人の今の議論は、彼らが仕える主人、シャルロット・フィオラ・イチェリナのことだった。
 ここで二人の話を少しだけ盗み聞きしてみるのならば、おそらくこういった言葉が聞き取れるだろう。
 ――どうしてあんなに静かになってしまったの?
 ――あなたは今までどこにいたの?
 ――教えられないのです。
 ――そんなこといって……。毎年楽しみにしていたオクタヴァーレ(十月)のハールメン、今年は何もしないって聞きました。
 どうやら赤い髪の少女はトルス国の血が入っているらしく、ハルメニアをそう発音した。オクタヴァーレの最終日、子供たちは皆一様に仮装し、ハルメニアというお祭りを行うのだ。無論主役は子供たち。このアルダという世界の中で、ハルメニアという文化(トルスではハーメルン)を持たないのは、明志国、そしてキクリ国のみ。大抵それを知った他国の子供たちは、目を丸めて「それでどうやって一年を楽しめるんだろう?」と聞くという。子供が主役だからこそ、何をしても許されてしまう唯一の日だった。
 ――ええっ? ロッティが!?
 ――信じられないでしょう? それに、いつにもまして暗いし……。
 ――ロッティが、笑っているところ、最近まったく見ていませんね……。
 ――心配ではないかしら?
 ――心配に決まってます!
 ――じゃあ二人でシャルロット様を楽しませましょう? 私たちができることってそれしかないと思うの。
 ――わかりました。でもどうやって楽しませればいいんでしょう?
 ――せっかくのハーメルンなのですから、仮装していただきましょう! シャルロット様はまだシェルマ以前でいらっしゃるから、参加することは可能だわ!
 ――それはいい考えですね! じゃあ僕、早速ロッティに……。
 飛び出しそうになった少年の襟首をがっしと掴んで、赤い髪のメイドは階段下に連れ戻す。げほげほとむせているのを申し訳なさそうに謝ってから、ぴしっといった。
 ――だめよ、教えてしまったら意味がないですわ。私たちが地道に準備するのです!
 ――なるほど! 驚かせようってことですね?
 ――ええ! さあ早速計画を練りましょう。私たちでシャルロット様に笑っていただけるように!
 二人は元気よく頷きあい、密談を深めていった。それを階段の上から眺めている人影が一つ。
 楽しそう、と小さくこぼした声は、今にも泣き出しそうなほど、優しく響いた。