Another Story

エイエリラ

3

 リィン、と鈴の音のような音が頭を木霊する。この民の滅亡が始まる音だと彼女は知っていた。彼らはそれに抗うことなく散っていくことも、自身が龍になることもなく死んでいくことも、知っていた。
 でもだからといって、どうすることもない。少なくとも民が怯えなくて済むように、痛みも苦痛も少なくなるように、ただ少女は祈っていた。誰もいなくなった神殿、本当に何の音もない静かな空間の中、白い髪と病的に白い肌が外からこぼれる日に染まっていた。
 龍の一族の巫女として、できることは祈ること。予言は覆すことのできない真実だ、ならば巫女である彼女には祈る以外に救われる方法などありえない。
 神殿に仕える人たちは、すでに遠いところへと逃がしていた。民としてセイカという少女を崇拝さえしていなければ、彼らはただの人間だった。まとまるところを知らない人々だ、ならば龍を恐れこの土地を欲するデュロイたちの敵にはなり得ない。彼らの敵は彼女だけ。
 でも、逃がしたつもりになっているのは少女だけ。セイカはそれを知っていた。まだ彼女を巫女として崇拝し愛してくれる人々が、神殿のすぐ側にいることもわかっていた。けれどそれは知らぬふりをしなければならない。
 見えもしない窓の向こうを覗いた眼球には、白く立ち上る煙が映っていただろうか。悲しいほどに漂う死臭を鼻の奥で感じた彼女は、わずかに目を細めていた。彼らは巫女の身に宿る龍が成ることを信じて、逝ってしまったのだろうか。
「龍は、どこにもいかないわ」
 一度、老婆へとつぶやいた言葉が再び神殿に響く。
 そう、少女はどこにもいかない。どこにもいくこともなく、龍に成ることもなく、幻のように消えてしまうだけ。彼女にはわかっていた。夢見たあのときから、いずれ確実にこの日がやってくることを。それを、セイカも彼女を慕う民たちも、救うことなどできないと。
 ああ、ただ望むなら。
 神殿を揺るがすような騒音が響き渡る。門はすでに壊されてしまったのだろう、石を積み上げただけの門は。デュロイたちがもつ武具の力は、あまりにも強大なのだ。石など砕け散ることしかできない。
 金属音が騒々しく響きながら、ようやく彼らはこの部屋の中にやってきたのだろう、向けられる好意とは明らかに違う視線を感じながらも、白髪の巫女は顔色一つ変えることはなかった。開いた眼は白く濁り、桃の唇だけが生きていることを知らしめるように色を持つ。
 年端もいかない少女を前にして、誰もが息を呑んでいた。触れてはいけないような、そんな神聖なものを感じていた。そして唐突にここがどこだかを思い出す。そう、ここは神殿なのだ。
「――殺せないの?」
 彼らの心中を的確に言い当てた少女は、ふらりと立ち上がった。空色のローブを腕に巻きつけながら、まるで舞うようにして歩き出す。彼女が向かう先は、窓。
「と、とめろ! 早く殺すんだ!」
 誰かが言い放った言葉が、けれど空虚に響き渡る。誰もがとめることなんてできないのだから。足が動かない。少女の動きを目で追うことしか、できない。
 それを振り返って巫女はくすりと笑った。優しい柔らかな笑みだった。
「あせらなくても、私は死ぬわ。もう民はいない。なら、信仰された者もいなくなる」
 その真意をわかる者がここには誰一人いなかった。ただ少女のたわごとを馬鹿馬鹿しいといって切り捨てる者しかいなかった。放たれた言葉と、誰かが仕掛けた弓矢は、空を切って少女の首に突き刺さる。
 リィン、と優しい音が鳴り響いた。

    ――――◆――――◆――――◆――――◆――――◆――――

 どうしようもなくなって、部屋からこっそりと抜け出、馬を走らせて数十分。幼い少年が見たのは、焼け野原になった彼女の故郷だった。彼女が愛していたはずの白い花が、跡形もなく焼けつくされていた。
 人が死んで火にくべられたことを示す白い煙が、ふわりふわりと上空へと上り、青かった空を濁らせていた。信じたくないものが、目の前に広がっていた。
 神殿のほうへとその目を向ける。そのとき突然空気を裂いて、何か鋭いものが飛んできた。それを受け止めることなど適うはずもなく、わけのわからないままそれはデュロイの胸に突き刺さる。目を見開いた次の瞬間。
 なぜか、目の前に彼女がいた。
 白い髪がふわりと揺れて、細い腕が少年を抱きしめていた。
「セイカ」
 小さく少女の名前をつぶやけば、彼女は微笑みながら顔を上げた。柔らかな哀しい笑みが刻まれた愛しい顔は、す、とその桃色の唇をデュロイの頬に押し付けた。その唇の冷たさが、彼女の死を告げていた。
「なあに」
「お前、死んだのか」
 乳白色に濁った瞳が静かに細められた。こくりと頷いた彼女は、けれど笑う。
「あなたも、死んだのよ」
「そうか」
 淡白な会話だった。それでも彼らはお互い幸せそうに微笑んで、もう一度抱きしめあう。聞こえない鼓動、冷たい身体、息を紡がない喉。それを意識しながらも、互いから離れることなんてできそうもなかった。
「セイカ。あの花の名前、聞いたんだ」
「そう。何ていうの?」
 そうデュロイが口にした瞬間だった。今の今まで焼け野原だったそこは、白いあの花が咲き乱れる。二人、同時に目を見開いて微笑みながら歩き出した。



「エイエリラ」