Another Story

エイエリラ

2

 それから、デュロイは足しげくセイカの元へ訪れた。山の向こうから来たといっても彼はこの神殿の近くに身を置いているようで、決まってセイカの傍に誰もいないときにふらりとやってくる。そして毎度どこからか摘んできた綺麗な花を淡々と渡し、柔らかな口調で会話する。会話といってもデュロイが一方的に言葉をつむぎ、それを彼女が受けるというものなのだけれど。
 それは楽しくないだろうとデュロイがセイカに語らせようとすると、彼女は首を横に振って話すことなど何もないと微笑んだ。
「私は一生涯ここから出ることなく死ぬ者よ。ただそれだけ。それ以上の言葉を望むなら、あなたはもう二度とここへは入れない」
 入れないという言葉はひどく不可思議な気がした。彼が望めばあっさりとこの神殿には忍び込めるし、それをセイカは拒絶していなかったはずなのに。その疑問を知ってか知らずか、やはり幼くも気高い少女は笑うのだった。
「あなたはときどき忘れているようだけれど、そもそもここは神域。神のおはします住まいにあなたは武具を持って訪れた。神はあなたを認知している。私の言葉を望むなら、神はあなたを許しはしないでしょう」
 しばし考え込んだのちにデュロイはこう返した。恐れを知らない者の目を巫女に向けて。
「……その神は俺の信仰する神か?」
「いいえ、きっと違うわ。もしもあなたが我らの神を信仰していたならば、あなたは私に触れられないはずだもの」
 ますます困惑した表情を浮かべているだろう少年を思いながら、少女はやはり柔らかくも澄んだ笑みを浮かべただけだった。余計な言葉は要らない。あなたは何も知らないままでいい。
 滅びる定めは、変えられないのだから。

    ――――◆――――◆――――◆――――◆――――◆――――

「ねえデュロイ。あなたはあの花の名前を知っている?」
 珍しく少女が尋ねてきたのは、神殿を取り囲むようにして咲いている花の名前だった。しかし彼はあまり花のことはよく知らなかった。謝るとセイカは穏やかに笑って問うた。
「どうしてあなたが謝るの?」
「知らなかったからだ」
「知らないことを知らないというのに、謝る必要はあるのかしら?」
 当たり前のことをぽつんと問われ、一瞬思考がストップする。その間もセイカは、デュロイが持ってきた花を優しく抱きしめていた。す、と静かに匂いを嗅ぐさまは、龍というよりも小動物にしか映らない。
「私はいつも、あの花の香りに包まれていたわ」
 セイカが自身のことを語るのは珍しいことだった。デュロイは彼女を珍しそうに見やりながら、こくりと頷く。目の見えない少女にやる動作にしてはあまりにも気遣いがないが、不思議なことに、彼女はその動作がまるで見えているかのようなのだ。ただそれはいつも、というわけではなく、だからデュロイの錯覚だと思うことにしている。
「いつも、そう。でも最近は、あなたが持ってきてくれる花の匂いがする」
 老婆も突然増えた色鮮やかな花の数に、最初は目を見張っていたものだが、セイカの表情を見て何もいうことはなかった。
「そうか。喜んでくれるなら、嬉しい」
「ええ、花は好きよ」
 穏やかな声だった。どこかに消えてしまいそうなほど、優しい声だった。
 日が暮れる前に去ろうとした少年は、最後に一度、窓の外を眺めている巫女を振り返った。
 暖かな橙色の光を浴びながら、少女は静かに白い花が咲き誇る野原を見つめていた。何も映さなくなった目に、空虚に色彩だけを乗せて言葉もなく見つめていた。白い髪が風に揺られて膨らんで、そよそよと宙を踊っていた。色とりどりの花々に囲まれながらも、どうしてか。
 少女の姿はあまりにも切なく映った。

    ――――◆――――◆――――◆――――◆――――◆――――

 放たれた言葉に一瞬理解できずに、デュロイは父王を見上げた。彼が何を言ったのかまったくわからなかった。
「なんと、仰いましたか、父上」
「お前のための戦だ、デュロイ。聞かずしてどうする」
 呆れたように苦笑して、大きな手で息子の頭を撫でながら、王はもう一度その言葉を吐いた。賢い兄とは違い幼い第二王子のことを深く愛しているかのような、そんな優しげな口調で。
「お前が巫女の首をとれ。もともとそのためにお前は行っていたんだからな。できるだろう?」
 身体中が、震えた。
 柔らかな白の髪が、
 乳白色の澄んだ眼が、
 薄い桃色の唇が、
 恐ろしく華奢な矮躯が、
 自分の手を握った細い指が。
 儚く幻想的な優しげな笑顔が、彼の名を呼んだ気がした。
「でき、ません」
 父の目が見開いたのは分かった。後ろに座る国を支える者たちが驚いたように立ち上がるのも。けれど彼にはそんなもの恐怖ですらなんでもなかった。
 乱暴に父のその手を振り払い、思慕していた父の眼を睨みあげた。
 分かっていたはずだった、いつか彼女を殺さなければいけないだろうことは。偵察だなんだいっておきながらも、あの土地を奪うつもりだろうことは、いくら幼く無知な少年でも理解できていた。それでも途中から偵察という名のそれが終わってからも、彼女の元に足しげく通ったのは。
 少なくとも、この父に利用されるためではない。
「俺は、巫女を殺さない! セイカはお前らなんかに殺させない!!」
 そのときに、ああと彼は気が付いた。
 少なくともなんて馬鹿な話じゃない。俺は、あの子が。
「大切なんだ……」
 馬鹿な望みだとは知っていた。それでもとめることなんてできるはずもなく、口走った言葉は父の耳にきちんと届いたのだろう、彼は振り払われた手を信じられないものを見るようにして見つめていた。
 一瞬口が開き、けれど思い悩むようにして、ようやく父は言葉を告げた。
「よく、考えろ。しばらく部屋から出るな。お前が出る頃には、もう戦が始まっている」
「父上!」
 わかってくれると思って名前を呼んだわけではなかった。それでもその深い失望の色がデュロイの心を蝕んだ。
 どうすればいいのか、わからなかった。
 ただ無性にセイカに会いたくてしかたがなかった。