ハシバミ色の追及 3

 私と陛下がお嬢様に求めていらっしゃるのは、同じことなのかもしれません。新たに贈られたドレスを身に纏い花のように微笑むお嬢様を眺めながら、私は考え込んでいました。ふとしたときに彼女の目には、深い不安が浮かんでいるような気がしたのです。これが陛下のおっしゃっていた彼女の私に対する不審でしょうか。
 いえ、違います。この不安の向けられる先は。
「オレリー様、陛下がいらっしゃいました」
 同期の侍女がそういって、扉の向こうから陛下があらわれました。お嬢様のハシバミ色の瞳が一度私の上を通り過ぎたあと、陛下に向けられました。一瞬ぞくりと背筋が凍ったのは間違いではないでしょう。お嬢様は陛下からの挨拶を制し、きっぱりとおっしゃいました。
「陛下とナザリー以外は下がって頂戴。侍女長もルミエラもよ、出なさい」
 お嬢様はどうやらお怒りのようなのです。
 元より陛下はお嬢様に呼び出されての来訪だったようで、彼女の厳しい目つきを不思議そうに見てから従いました。彼がそう動いたのならば私たちのような身分のものでは従わざるおえません。三人しかいなくなった部屋の中、私は彼らの分のお茶を用意しながら怯えていました。お嬢様がお怒りになるような失態をさらしてしまったのでしょうか。
「忙しいのにごめんなさい、陛下」
 そっと彼女の手元に紅茶を並々と注いだカップを置き、陛下にも同様にお茶を出します。そのまま一歩下がって黙り、向かい合う私の主人夫婦をぶしつけにならぬように見つめていました。お嬢様が一体何に怒っていらっしゃるのか皆目見当がつかないのです。
 お嬢様はカップを手にとってそっとそれに口付けるようにして飲みました。陛下はそれに習うようにして紅茶を飲み、頷きました。
「構わないが、どうしたのか聞いても?」
「どうしたのか、ですって?」
 彼女の声が不意に暗く沈むように落ちました。私も陛下も目を見張ってお嬢様を見つめます。そのあとは、まったく不測のことでした。
「陛下、あなた私のナザリーに何をさせていらっしゃるんですの?」
「お嬢様!」
 私がお嬢様の言いつけを守らずにそう叫んだのは、お嬢様の言葉のあまりの無礼さと、彼女の手が震えていることに気づいたからでした。柄にもなくうろたえる私を横目で見た陛下は、お嬢様の瞳をしっかりと捕らえておっしゃいました。
「何のことだかわからないな。彼女が何かいったのか?」
「陛下、馬鹿にしていらっしゃるの? 私がわからないとでも思って? 夜会にナザリーを出席させず、外交の場にばかり出すのはなぜ。しかも彼女のレースをとるような真似をして!」
 激昂するお嬢様の手の中でカップがカタカタと震え、彼女のハシバミ色の瞳は怒りで吊り上っていました。私ごときのために怒ってくださっているのです。けれど私は平静ではいられません。お嬢様のような立場の方から庇われるなどあってはならないことだというのに。
「お、お嬢様、私は気にしておりませんわ」
「あなたが気にしなくても私が嫌なのよ。陛下、私は最初に申し上げたはずです。ナザリーを利用するようなことは許さないと。忘れたとは言わせませんわよ」
 お嬢様のハシバミ色の視線が鋭く陛下を射抜きます。そのような険しいお嬢様の表情は初めて見るもので、私は思わず息を呑みました。この視線を真っ向から受けるなどあまりにも怖すぎます。陛下が一切動じていないことが信じられません。
「無論忘れてはいない」
「ならばどうして外交のあとナザリーはいつもいなくなるの!? あなたが利用しないで一体誰がこの人の出自を知っているっていうのよ!? 馬鹿にするのも大概にして頂戴。ナザリーはあなたの駒じゃないのよ!」
「お嬢様!」
 ガシャン、と鋭い音がして彼女の贈られたばかりのドレスに茶の染みが広がっていきました。叩きつけられたカップは卓上で砕け、肩を怒らせたお嬢様は立ち上がって陛下を睨んでいます。その眼差しがわずかに潤んでいることにようやく私は気づきました。お嬢様は泣いていらっしゃったのです。
 はぁ、と薄いため息を吐いた陛下は、深く椅子に沈み込みました。
「オレリー、座ってくれ」
「嫌です。陛下、私は何度でもいうわ。あなたがナザリーを、あなたの駒として利用するつもりなら、私はあなたを許しません。あの告白に応えたときの言葉をそのままあなたに送るわ。ナザリーを利用するようならこの結婚を破棄すると」
「お嬢様!?」
 私は心底驚きました。まさかお嬢様が陛下に対してそのような約束をしているとは思ってもみなかったのです。けれど彼女は振り返ることなく陛下ただ一人を睨みつけていらっしゃいました。
 黙って見守ることしかできない私の前で、陛下はおもむろに立ち上がり、お嬢様の細い腕を掴んで抱き寄せました。思いがけない行動に私もお嬢様も目を見張ります。腕の中で些細な抵抗をするお嬢様の頬をそっと撫で、陛下は残酷な言葉を突き刺しました。
「破棄できるとでも思っているのか? 務めを果たすまでは逃げ出すことも許されない。君はそれを理解して王妃を選んだのではなかったのか?」
「……わかっているわ、そんなこと。でもそれとこれとは話が別よ。私が政治の駒になるのは当然だわ、王妃ですもの。でもナザリーは違う。彼女はただの侍女よ、あなたの駒ではない」
「オレリー」
 一言、彼女の名を呼んで、陛下はお嬢様の唇を塞ぎました。黙らせるためだけの、冷たい口付けでした。失望を含んだ陛下の海のような瞳が、お嬢様のハシバミを飲み込んで。
「妃の位は君だけのものではない」

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