雨降りの靴

 十六歳の息子からいわせると、わたしは「頭がおかしい」のだそうだ。
 そんなことはないだろうと思いながら、蛇口をひねって水を止める。鍋の中には野菜がひたひたになって沈んでいて、ぶかぶかの灰茶のセーターを着込む女が見返した。少しこけた頬とてきとうにくくった髪、そして十年前他界した旦那に好きだといわれた目は、落ち窪んでさながら骸骨のようだった。
 鍋を持ち上げて火にかける。まだ出していないごみがあることを思い出して、日付を確認する。ああよかった、今日なら出せる。
 リビングに戻ってごみ袋をまとめ、つっかけをはいてアパートを出た。近所の人に軽く会釈をして通り過ぎ、そそくさとごみを出す。ネットをかけて振り返ると息子が不機嫌そうにこちらに駆けてきた。彼の手には傘が握られていて、ああ雨が降っていたのだと知る。
「傘ぐらいさしてけよ。それと父さんのセーターは着るな」
 きつい口調に苦笑して、一緒に傘に入った。息子の不安そうな視線にさすがに申し訳なくなる。わたしは心配させてばかりだ。
「どうして? このセーターあたたかいのよ」
 穏やかに問いながら家へと向かう。息子は苛立たしそうに舌打ちをひとつしただけで、答えることはなかった。

 十年前、旦那が亡くなった日も、そういえば雨が降っていた。息子がやっと小学校に入学し、新学期に胸躍らせている時期だった。桜が雨で散って、泥水の中に斑点のように浮いていたのを覚えている。
 わたしも旦那も、今の息子の歳に出会った。それから二十年そばにいた。その時間は、わたしからすればとても永く、そしてとても短いほんのひとときだったように思う。
 だから旦那が死んだとわかっても、どうしても彼のものを捨てられなかった。セーターや靴、かばんにスーツ、ズボンやTシャツ、その他ありとあらゆるあの人の私物。それは彼の生前と変わらぬまま、わたしたちの小さな家に残っている。
 それはよくないことだと、母にも義母にも諭された。自分でもわかっていた。死んでしまった人に依存するのはよくないと。
 なのに捨てられない。あまつさえ着てしまう。
 ぶかぶかの灰茶のセーターは、彼が生前よく着ていたものだった。旦那にはぴったりだったそれをわたしが着ると、こんなにもぶかぶかなのがおかしかった。ほのかににおうあの人の匂いに、頭が真っ白になるほど恋しくなった。
 旦那の私物が散らばる家で、息子は窮屈そうに成長した。六歳だったこの子は突然の父の死をきっと理解していなかったのだろうけど、成長するにつれて思うことが増えたらしい。旦那の私物を捨てるよう促すようになり、わたしが力なく首を振るのを知ると、不安や怯えのまじった目でわたしを見るようになった。それがとてもかわいそうだった。
 息子が高校に行っている間、家事をしながらそこここに旦那の存在を感じる。カーテンの焦げあとに、いつも座っていた椅子に、よく着ていた服に。
 玄関を掃いていると、ふとあの日彼がはいていた靴が目に入った。それは彼の就職祝いに奮発してわたしが買ったものだった。もう十年も放置されていながら、特にいたんだ様子はない。
 なんの気なしにそれを出して、自分の足をいれてみる。当たり前だがそれはセーターよりもぶかぶかで、地面を踏むたびに間の抜けた音がした。
「さすがに無理か」
 苦笑しながらつぶやいた言葉とともに、目から何かがこぼれ落ちた。熱いそれに耐え切れずに、わたしはしゃがみこんで泣いた。子どものように、喪失を思って泣いていた。



400字詰め原稿用紙換算4枚。

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