ニカのなわとび

 家に帰る途中の道で子どもたちが遊んでいた。響く高い笑い声が壁に跳ね返って、空からしゃらしゃらと落ちてくる。弾けるような笑みと、汗で輝くまあるい顔に、ほのかに微笑んで家の中に入る。むわりとにごった空気に小さく咳き込みながら窓を開ければ、夏の匂いが風と一緒に吹き抜けていった。
 白い干されたままの布団が、新緑の中ひときわ映える。荷物を置いて布団をしまおうと小さな庭に飛び出すと、もう夕暮れになるというのにまだまだ日差しは強い。それにため息をついて洗濯物を取り込んでいると、ふいに声が聞こえて手を止めた。
「洗濯物?」
 布団を抱きしめた状態で、声のしたほうに体を傾ける。そこにはなわとびを持った男の子が立っていた。黒い丸い目がかわいらしい。
「そうだよ」
「えらいね」
 わたしが制服を着ているからだろうか、彼はそういってにかっと笑った。前歯の片方が抜けていて、ひょうきんだった。
「あの子たちと遊ばないの?」
 さっき家の近くで遊んでいた子たちのことを思い出しながらそう問えば、男の子はさびしそうに唇をとがらせて足元の石を蹴飛ばした。ころんと石は転がって黙り込んだ。
「遊べないんだ」
 変なことをいう、と思う。声をかければいかにも仲間にいれてくれそうな子たちなのに。
 布団を取り込んでもう一度振り返ると、男の子は庭の隅からこちらを見ていた。
 家の中に入って冷やしたジュースをグラスに注ぎ、それを二つ持って庭に出る。あげる、といって男の子に手渡せば、彼はやっぱりにかっと笑って受け取った。
「なわとび得意なの?」
 飲んでいる間も手に巻きつけているそれを見やりながら問いかければ、彼はこくんとうなずいた。Tシャツと半ズボンから飛び出る手足は、子どもらしくまだまだ小さかった。きっとわたしを越すのはずっとあとのことだろう。
「お姉ちゃん、二重跳びできないんだ。教えてくれる? ニカ?」
「にか?」
「にかって笑うから、ニカ」
「変なの」
 そういってニカはやっぱりにかっと笑った。それから男の子は、ニカになった。

 ニカはときどき庭にあらわれて、わたしになわとびを教えてくれるようになった。
 ニカのなわとびの教え方はへたくそだ。こうやるんだよといってお手本を見せてくれるばっかりで、ぜんぜんわからない。わからないよ、と文句をいえばむっとしたように口をとがらせて、ひとりで上手に跳ぶのだ。文句をいっているわりに、わたしはそのニカの跳ぶ姿が好きだった。全身がばねみたいに曲がって、だんだん楽しそうに笑い出すニカの笑顔が好きだった。
 ニカの抜けた前歯は、なかなか生え変わらなかった。ニカ、あーん、といって口をあけさせれば、子どもそのものな乳歯が不ぞろいの豆粒みたいに並んでいた。
 ときどき庭の木になわとびをつないで、二人っきりでおおなわをした。ニカはなわを回すのがへたくそで、しょっちゅうわたしの足になわを引っ掛けた。最初のうちは心配そうに謝ってきたのに、途中からすっ転ぶわたしを見て笑いだした。いつか聞いたあの子どもたちの笑い声と、ぜんぜん変わらない高い笑い声だった。
 それで仕方なくわたしがなわを回してあげれば、うれしそうに一度にかっと笑ってから、上手におおなわに飛び込んでいく。ニカはやっぱり跳ぶのが好きだといった。わたしもニカの跳ぶ姿は好きだった。
 ニカは教えるのがへただけど、わたしはどうにか二重跳びが跳べるようになった。ニカのなわとびで跳んでみせると、彼はにかっとうれしそうに笑った。お祝い、といってそのなわとびをくれた。
 それから夏の終わりが近づくにつれて、ニカはめっきりとわたしの家の庭にあらわれることがなくなった。遠くに引っ越してしまったのか、それとも同年代のともだちができたのか。
 いずれにせよ、遊び相手のいなくなった庭の木には、ニカからもらったなわとびがぶら下がっていた。さびしい秋の風が吹き込むたびに、なわとびの持ち手がからからと音を立てていた。
 しばらくして近くの家の男の子が亡くなったと聞いた。ご近所づきあいのある家だったから、母と一緒にお通夜にいった。写真の中の笑顔は、やっぱり前歯がないままで、楽しそうににかっと笑っていた。
「なわとびありがとう、ニカ」



400字詰め原稿用紙換算5枚。

DESIGN BY X103