第一部 に溺るる死者とに向かう生者

二章 マルドゥブルの花嫁

09

 叔母の結婚式が迫る夕暮れ時に、私は珍しく令嬢たちと静かなティータイムを楽しんでいた。皆、レティリアを慕う少女たちで、つまり彼女達は私の存在をあまり好しとはしていない。それを知りながら、けれど私はその場に居座っていた。
「殿下。殿下はレティリア様の式の時に、どのようなドレスをお召しになるのですか」
 少女たちの間で何より大事なのはそこだった。それもそうだろう、叔母と同じ仕立屋を愛用し、けれどいつも着ているのは二人ともまるっきり正反対のドレスを着ているのだから。
「やはりフィルッシェ様のドレスですの?」
「そうなるのでしょうね。あなたがたはどのようなものをお召しに?」
 カップを卓上に乗せ私の目の前に座る、マリエッタ・モネィル・ハルドゥワを見つめた。桃色の豊かな巻き髪を二つに結び、豪奢な扇で口元を隠す様は年下の少女ながら、甘く妖艶で酷く魅惑的な女を感じさせる。叔母の一番のお気に入りの娘であり、「桃(モネィル)」とそう呼ばれていた。彼女は一番叔母に近いところにいながら、けれど私のことをあからさまに嫌悪しない不思議な人物で、だからいつも彼女がいるとその存在が気になってしまうのだ。
 彼女はその甘い糖蜜の瞳をふっと緩ませて、やわらかい声音を出す。
「私にそれをお聞きになるのですか、シャルロット殿下」
 それもそうだ。彼女はその通り名に恥じないように、いつも麗しい桃の香りを纏わせ、そして紅や桃のドレスを身につける。私こそが美しい桃。そう主張するようなドレスに、私は少なからず感心していた。まだシェルマにも手が届いていないあどけない少女であるはずなのに、既に桃であるという自我が完璧に存在しているのだ。それは、十四の少女にしてはかなり早熟で、そして素晴らしい。
「桃のドレスを?」
「ええ。フィルッシェ様とは比べ物にはなりませんが、素晴らしい仕立屋に出会いましたの。早くそのドレスを着てレティリア殿下の式に出席したいものですわ」
 本来シェルマではない彼女は結婚式に出席することを許されてはいないのだが、彼女の父であるハルドゥワ侯爵が足の悪い自分の代わりに娘を出席させるということになったのは、もう城の中の者ならば誰もが知っていることだった。勿論今この場にいるシェルマに満たしていない、また、満たしていても親が出席する少女たちがいるのに、である。彼女のそれは挑発のようでいて、けれどただ誇りに思っているようでもあり私にはその真意が掴めない。彼女のような存在を、まさに「女」と言うのだろう。
「本当にうらやましいわ、マリエッタ。私も是非参加したいわ」
「私だって出席させていただきたいわ。それに折角のマリエッタのそのドレス、もう着る機会などないのでしょう?」
「それは残念だわ。もう着るつもりはないの?」
 少女たちは次から次へとその細い喉を震わせて、賑やかな小鳥のように声を上げる。それは酷く不思議な光景に見えた。甘い餌が落ちてくるのを待っている雛のような少女たち。そして、甘い餌を送る立場になる、「桃」。
「いつか舞踏会があったら着てみようかしら。
 ねえ、シャルロット殿下。あなたは仮面舞踏会に興味がございませんの?」
 桃色の少女は甘やかな声を上げて私を真っ直ぐに見つめてきた。不意をつかれて一瞬何を言われたのか分からずに、私はわずかに眉をひそめる。
「仮面舞踏会、ね」
 言葉が形になって脳に字が映し出される。その名の通り仮面をつけ自らを偽り、逢瀬のために開かれる愛しくも低俗なその集い。参加したこともなければ一切の興味も抱かなかった。
 そしてその話題を私に振るというところで、既に彼女の強さが分かることだろう。何の迷いもない糖蜜の瞳には、挑発とからかうような色が窺える。迷いなく、挑発する、侯爵令嬢。
 面白い少女だ。
「残念ながら、興味はないわ。この髪だといくら偽ったところで気づかれてしまうもの」
「あなたが興味がないのは舞踏会自体ではなくて、男性という対象でしょうか、シャルロット殿下?」
 毒の含まれたその言葉に、私は一度目を閉じた。
 案の定周りの少女たちは彼女のその問題発言に顔を青ざめさせ、メアリが冷たい眼差しで彼女達を見つめ、私の護衛をしてくれているガレス卿とそしてウィルが少女たちに剣を突きつけていた。
「止めなさいガレス卿、ウィル。何をなさっているのです」
 平然とした声を上げて、私は彼らの剣を無理矢理下ろさせた。ウィルはその翠の瞳を冷酷に歪め、ガレスはいらだたしそうに剣を下ろす。
 その中で、剣を突きつけられたマリエッタは、わずかに怯えたように、けれど決してその怯えを見せないように毅然とした眼差しを私に送っていた。その気高さにやはり、侮辱された身でありながら感動を覚える。それでも彼女の糖蜜色の瞳は、恐怖にくっきりと彩られていた。震える唇を、叱咤するように無理矢理動かし、言葉をつむぐ。
「も、うし、訳ありません、殿下」
「下らないことに時間を費やしてしまったようね」
 そう返し、メアリにローブを手渡してもらいながら暇を告げる。
「それでは、お先に」