誘われる姫君 2

 その方がお嬢様とレオノーラ様のいらっしゃるサロンに訪れたのは、やはり当然のことでしょう。主催者であるレオノーラ様には貴族であれば誰もが挨拶すべきですものね、いくら高貴な立場の方でもそれは同じ。けれどその方はいささか事情が違いました。
 私はレオノーラ様お付の侍女の方と、サロンの側に控えておりました。舞踏会の会場であるホールの奥まったサロンのところには、主催者と懇意にしている方がいるのが通常です。踊りたくなればホールに出向いて踊るのです。けれどお嬢様もレオノーラ様も親戚の殿方とは踊ったものの、あとは談笑に講じているばかりでした。それが悪いことだとは思いませんが、いつものお嬢様にしては珍しいように見えました。彼女は踊ることが得意でしたから。
 そのとき突然サロンの空気が変わりました。レオノーラ様の従者が泡を食ったように彼の主人のもとへと飛んでいき、何事かを囁いたのです。遠目から見ていてもレオノーラ様のあわてようは大層かわいそうに映りました。なにせお嬢様が隣でそれを聞いているのも忘れ、どうしようと彼女にすがりついたのですから。お嬢様はレオノーラ様を落ち着かせて、話を聞きだしていました。同時にこちらへ来るよう促され、私は彼女たちのもとへ向かいます。
「何でしょう、お嬢様」
「どうやら陛下がいらっしゃるようなの。レオノーラにお化粧をしてもらえる? あまり時間がないみたいだから」
 それは無論かまわないのですが、お嬢様はどうするおつもりなのでしょう? その懸念を感じ取ったのでしょうか、彼女は苦笑しながらレオノーラ様を私のほうに押し出してきました。
「レオノーラがお化粧をする間、私は他の殿方と踊っているわ。そうしたら陛下だって無理はいえないでしょう? 安心してレオノーラ、ナザリーはとても化粧が上手なの」
 よろよろと私のほうにやってきた彼女を抱きとめれば、レオノーラ様は怯えたように私を見上げてきました。それもそうでしょう、お嬢様のお側に誰よりも長い間おりながら、彼女は私の素顔をご覧になったことはないのですから。
 不意にレオノーラ様は私の素顔を覆い隠す白のレースを憎々しげににらんだかと思えば、私を強く突き飛ばしました。女性ですものね、私が彼女を馬鹿にしたと悟ったのでしょう、突然のことでした。お嬢様が驚いたように目を見張り、レオノーラ様に駆け寄りました。けれど私を突き飛ばした彼女は呆然と私を見ておりました。
「レオノーラ?」
 レオノーラ様は私のほうに近づいてきて、その小さな体で私を見上げていらっしゃいました。白い肌に散ったそばかす、おどおどと自信のなさそうな淡い緑の目、くせの強い巻き毛が小さなお顔を囲んでいました。私のお嬢様とは対照的な、明らかな引き立て役。ご自分でもよくわかっていらっしゃるのでしょうけれど、お嬢様はレオノーラ様を友として愛していらっしゃるのです。
「あなた……」
「はい」
「綺麗、だわ」
 その言葉を聞いてレオノーラ様のお側にいたお嬢様は、あーあといって微笑みました。魅惑的で輝かしいほど可愛らしい微笑。
「折角秘密にしていたのに。そうよレオノーラ、ナザリーはとても綺麗なの」
「どうして、そんな風に隠しているの……?」
 少女らしい好奇の目がいぶかしむように私を見やります。いえ、好奇というより敵でも見るかのような、そんな目をしていました。小動物が相手を食えるか考えているお顔です。
 私は白のレースを整えながら、にこりと微笑みました。腰が引けているご様子の少女に一歩近づいて、その緑の目を射抜きながら笑いましょう。
「レオノーラ様、淑女の秘密を暴くのは愛人の役割でございます。ご自重なさいますよう」
 その言葉に、ようやくサロン内の人間が私たちの様子に気づいたようでした。ざわざわとさざめきが起こるなか、レオノーラ様に先刻陛下の到着をお知らせした従者がうさぎのようにサロンに飛び込んでまいりました。どうやらレオノーラ様のお化粧直しは間に合わなかったようですね、従者の少年は青い顔をしていました。レオノーラ様までその青がうつったように青ざめたそのとき。
 彼は、従者を引き連れて、さながら魔王のように現れたのでございます。

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